《小学生ふたハ》環境の変化で振り出しに…。また話せない日々を送る。
小学校に入学したころの話です。入学式の記憶はあまりありません。唯一、桜の木の下で母と一緒に写真を撮ったのは覚えています。
私の通った小学校は1クラス30人くらいで、1年生は2クラスありました。
初めての場所で、教室がたくさんある!人数が多く、知らない先生やクラスメイトがたくさんいる!
他にも…生活スケジュールの変化。1人で登下校すること。重たい荷物を自分で持つ。など。
保育園から小学校への変化はとても大きいです。
再び、ゆっくり環境に慣れていく日々が始まりました。
《小学生ふたハ》環境の変化を乗り越えた方法。小学校の入学直後に支えてくれた人たち。
入学してしばらくの間、心配性な母は登下校の集合場所までついてきてくれました。
また、私が話せる(小声で一言程度だが…。)保育園からの友達は3人いてみんな同じクラスでした。
担任の先生は優しい女性の先生でした。班長のお姉さんも優しかったです。
保育園の入園時とは違って、頼れる人や安心できる人が近くにいたので、登校しぶりをすることはなく通っていました。

《ぱんタ/自閉スペクトラム症/ASD》就学先はどこがいいのか?夫と意見が合わない。
ASDの診断を持つぱんタの就学先はとても悩みました。
私の頃は通常学級しかなく、通常学級の1択でした。ですが、現在は選択肢がたくさんあります。
主に、通常学級、通級(通級指導教室)、特別支援学級、特別支援学校のどこかに就学する子ども達がほとんどだと思います。
就学前のぱんタはASDに加えて療育手帳を持っていて軽度知的障害がありました。
そして、もう一つ私を悩ませたのが、夫のくまTの存在です。
(くまT)「男の子なんだから厳しく育てるべきだ!」
くまTは小さいころや若い時に逆境の中で育ってきたようで、よく言っていました。
正直なところ、この言葉を聞くたびに、厳しかった頃の昔の母の記憶がよみがえり嫌な気持ちでした。

「ふたハはぱんタを甘やかしすぎだ!」とよく言われていました。
意見が根本的に合わず、くまTを説得するのが一番大変でした。
(くまT)「始めからあきらめて支援学級にするのは反対だ!まずは通常学級でチャレンジすべきだ!」
くまTは通常学級で学ばせたい思いが強く、支援学級への就学は反対でした。
《ぱんタ/自閉スペクトラム症/ASD》就学先に特別支援学級を選択した理由とは。
私はみみコの入学の時に、のびのびした自由な方針の幼稚園からルールがたくさんあり勉強がメインとなる小学校への大きな環境の変化を感じました。
みみコはもちろんのこと私も小学校の雰囲気に慣れるのに時間がかかりました。
みみコは幸いにも登校班とクラスが一緒の仲良しの友達ができたおかげで、楽しく通うことができました。
でも、人に興味がなく友達がいないぱんタには小学校の環境の変化には耐えられないように感じました。
ぱんタの就学先を決める中で、くまTとは意見が合わずたくさん言い合いになってしまいました。
話し合いの末、1クラスの人数が少なく、先生の目が届きやすい、特別支援学級でスタートすることに決めました。

くまTに支援学級を考えていると伝えてから1年半くらい説得し続けました。
また、別カテゴリーで詳しく話したいです💦